移住者インタビュー

【前編】移住の“先輩”インタビュー 「いつか」の夢が現実に。自分たちなりの「暮らし」の形を模索してきた3年間|横山暁一さん・恵理さん(名古屋→長野県塩尻市)

移住を考え始めた経緯や移住先の選定基準、移住先の物件探しのポイント……「移住」といっても移住が実現するまでの道のりは人それぞれ。では、移住を実現した“先輩”たちは、どうやって移住後の暮らしを形にしていったのでしょうか。先輩の体験談を通して、(良い意味でもそうでない意味でも)実感した移住の理想と現実、移住のために実践してみたことなど、「移住のリアル」を紹介します。
今回話を聞いたのは、現在は長野県塩尻市に暮らす横山暁一さん・恵理さんご夫妻です。現在に至るまでに、妊娠・出産、転職などさまざまなライフイベントに直面してきたというおふたり。前編では、移住に至るまでの経緯や生活の変化、新たな土地で暮らしを築いていく中で心がけてきたことなどを聞きました。

紆余曲折を経て始まった塩尻での暮らし

はじまりは、たまたま目にした求人情報

——塩尻での生活が始まったきっかけは何だったのでしょうか?

暁一さん:
ご縁があって、僕が2019年春から名古屋で会社員をしながら、塩尻市の地域おこし協力隊に参加することが決まったのが始まりです。
複業することになった経緯を振り返ると……、妻と「将来どんな暮らしをしたいか」を話していたのが、最初のきっかけだったと思います。妻は長野出身で、結婚前から「いつかは地元で暮らしたい」と言っていたんです。僕自身も、子育てするなら自然のあるところでと思っていたので、長野での暮らしも良いなと感じていました。

インタビュー中の様子2019年から塩尻での暮らしをスタートした横山暁一さん(右)と恵理さん(左)

——ご夫婦の中で、地方で暮らす未来像がある程度描けていたんですね。

暁一さん:
あと、個人的に「何かしらの形で地域に根差した活動に携わりたい」という思いを持っていたのも大きかったです。この思いが芽生えたのは、社会人4年目の頃。会社の研修で鳥取県のとある町の地域課題解決に関わることになり、その際「自分たちの地域をどうしようか」を本気で考える地域の人たちの集まりを目にしたんです。課題を通じて集まる場、家庭や職場とは異なるいわゆるサードプレイスみたいな場を持つことの良さが感じられて、とても印象的でした。この経験もあって、少しずつ長野に足を運んだり、つながりをつくることから始めていきました。
名古屋で暮らしていた頃には、「暮らしているまちに関わりを持ちたい」と思ってまちを舞台に学びの場づくりを展開する「大ナゴヤ大学」のボランティアスタッフに参加していました。自分たちが暮らすまちに思いがある人たちと一緒に活動してみて、「僕も何かやりたい!」って思いが大きくなっていくのを感じましたね。
そんなとき偶然、塩尻市の「地域おこし協力隊」の募集情報を目にしたんです。もともと塩尻は妻の実家の帰省時に立ち寄ることもあった場所。業務内容にも関心があり、すぐさま応募しました。結果として、勤務形態などの条件が合わず採用には至らなかったのですが、これをきっかけに塩尻とのご縁が生まれて。ありがたいことに、市の職員さんなど採用に関わっていた方々が積極的に受け入れるための別のポジションを整えてくださったんです。僕も勤めていた会社とも交渉して、会社員と地域おこし協力隊とのダブルワークを実現できることになりました。

さまざまな事業に参画の様子塩尻市の関係人口創出事業の立ち上げなど、さまざまな事業に参画

夫婦で真剣に話し合って選んだ「2拠点生活」

——怒涛の展開ですね! 恵理さんは、塩尻の求人に応募したと聞いたとき驚かれたのでは?

恵理さん:
はじめに話を聞いたときは、思わず「え、もう!?」と返してしまいました(笑)。私の思いを夫が受け止めてくれているという信頼はありましたけれど、具体的にいつ帰るかなんて話はしていなかったので、実現するとしてももっと先の未来だと思っていました。だから夫が長野の求人情報に目を通していたことには驚きましたね。
ただ、迷いもありました。当時の私は、ずっと目指していた作業療法士に就いて、仕事にもとてもやりがいを感じていました。夫の転職を機に移住するとなると、仕事を辞めないといけなくなります。とても悩ましかったですね。

暁一さん:
僕も当時は20代で、会社の仕事にもやりがいを感じていました。さらにいえば、求人に応募したのは結婚直後。2人そろって塩尻に行くか、協力隊は諦めて名古屋に残るか、自分だけ2拠点生活を送るか……。ダブルワークの実現に向けて準備を進めるのと並行して、妻とは家庭の在り方、仕事に対する考え方、収入面の課題などについてじっくり話し合いました。結果として、2拠点生活からスタートすることが僕らにとってベスト、という結論になりました。そんな中、妻の妊娠がわかって。

恵理さん:
それで、まずは夫が先に2拠点生活をスタートして、私は名古屋での仕事を続けながら里帰り出産とともに塩尻に移ることにしました。約半年のタイムラグは私の気持ちを整理する時間にもなって良かったと感じています。

インタビュー中の様子「本当にいろいろあったし、話し合ったよね」と当時を振り返るおふたり

物件探しの軸は「どんな環境で子育てしたいか」

昔ながらのご近所付き合いがある、ちょうど良い環境

——恵理さんが第1子を出産後、家族そろっての暮らしが始まったわけですね。

暁一さん:
そうですね。子どもが生まれるタイミングで現在の家に引っ越しました。このあたりは自然があって落ち着いた雰囲気の集落。塩尻市の中心部や松本など近隣の市にもアクセスしやすいエリアです。最寄り駅とは多少離れていますが、車を使えば移動できる距離感なので不便さはそこまで感じません。

——おふたりにとってこの地域で暮らそうと思った決め手って何だったのでしょう?

暁一さん:
「ちょうど良い」って思えたことが、決め手ですかね。家を探すにあたっていくつかの地域に足を運んで、空き家バンクの方に今の家を紹介してもらった時、集落の雰囲気も含めて僕らが「こんな環境で子育てしたいね」と思い描いていた環境だと感じました。あと、ご近所さんの人柄も良くて。

恵理さん:
それこそ、道を歩けばご近所さんとお話しするし、地域の方から野菜をおすそ分けしていただくのも日常的。良い意味で昔ながらのご近所づきあいが息づいていると感じました。訪れてみて、地域とつながりを持って暮らしていけそう、自然も豊かでここなら安心して子どもを育てられそう、とイメージがわきました。

休みの散策中の様子休みの日には親子で林を散策することも多いのだとか

子どもが“かすがい”に。散歩を通じて深まったご近所さんとの交流

——移住先の地域になじむのが最初は大変とも聞きます。実際はどうでしたか?

暁一さん:
皆さん最初からウェルカムな印象がありましたね。でも、移住者がたくさん暮らすような地域ではありませんから、実際のところ最初はお互い恐る恐るな感じはあったと思います。

恵理さん:
とはいっても、何かしら動かないと始まらないのでまずは外に出てみることに。そうすると地域の方と話ができる、顔を見て繋がれる、それが分かってからは意識的に近所を散歩していました。子どもを連れて散歩していると、ご近所さんが声をかけてくださるんですよ。言葉を話せない赤ちゃんを介して会話が生まれる。そんなやりとりを通じて、だんだんとなじんでいった感じがします。

インタビュー中の様子塩尻での暮らしがスタートした当初は赤ちゃんだったお子さんも大きくなり、家族も増えました

——確かに、「おいくつですか?」などお子さんの話題って会話のきっかけにしやすいですよね。

暁一さん:
そうなんです。この地域で暮らし始めてしばらくは、散歩中に誰とどんなことを話したかを夫婦間で共有していましたね。「今日は〇〇さんとお話した」「あのご家庭には◯歳になるお子さんがいる」みたいな感じで。お話しできていない方がいれば、次は話しかけよう、など意識的に話していました。

恵理さん:
ご近所さんとの交流に救われることもありました。特に引っ越しから約半年後に新型コロナ感染症が流行し始めてからは、子育て支援センターなどの公共施設も利用できなくなって、実家の帰省も難しくなって。先行きが見えない不安を抱える中で、「散歩していればご近所さんに会える」と思えたことはありがたかったです。

暁一さん:
今思えば、地域の方たちにとっても「子どもが増える」ことのインパクトは大きかったんでしょうね。特段子どもが多い地域ではなく、むしろ少なくなり始めていた中で、赤ちゃん連れの家族がやってくるのは、良い意味で一大事。だから温かく迎え入れて、見守ってくださったのかもしれません。

恵理さん:
移住者に対する反応は地域ごとでさまざまだと思います。だからこそ、地域の皆さんには感謝の思いでいっぱいです。暮らしを通じてご近所さんと顔の見える関係性を築いていったことで、この地域がわが家の「暮らす場所」になっていったと感じています。

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